大阪高等裁判所 平成11年(ネ)3437号 判決 2000年10月27日
控訴人(第一審原告)
日本レーザ電子株式会社
右代表者代表取締役
【A】
右訴訟代理人弁護士
奥村哲司
右補佐人弁理士
【B】
被控訴人(第一審被告)
【C】
右訴訟代理人弁護士
明賀英樹
同
黒田一弘
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
事実及び理由については、別紙「事実及び理由」のとおりである。
以上によれば、控訴人の請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないこととなる。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鳥越健治 裁判官 若林諒 裁判官 西井和徒)
(別紙 事実及び理由)
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人に対し、原判決添付「別紙目録1」記載の特許権について、平成4年5月22日契約を原因とする移転登録手続をせよ(以下、同目録1の特許権を「本件特許権」、この特許権に係る発明を「本件発明」という。)。
第2 事案の概要
1 本件は、控訴人が同社の技術顧問であった被控訴人に対し、本件発明は被控 訴人が控訴人と締結した技術顧問契約を履行する過程で得られたものであるから、本件特許権は同契約6条に基づいて控訴人に帰属すべきものであるとして、本件特許権の移転登録手続を求めた事案である。
2 基礎となる事実、争点及び争点に関する当事者の主張は、次のとおり付加訂正するほか、原判決添付「別紙 事実及び理由」(以下「原判決別紙」という。)の1頁7行目から5頁7行目までと同じであるから、これを引用する。
(1) 原判決別紙2頁9行目の次に、改行の上「(1)ないし(3)(省略)(4) 装 置製作についてのノウハウの提供ならびに指導」を加え、3頁5行目から10行目を削る。
(2) 同3頁18行目の「薄膜原料ガス」を「薄膜分子」と、19行目の「作製する」を「均一に付着させる」と、それぞれ改め、同4頁1行目の「薄膜の種類」の次に「(化学反応による結合が存在するか否か)」を加える。
(3) 同4頁9、10行目の「オスミウム・プラズマコーター」を「プラズマ製膜装置の用途拡大を目的とした、旧発明及び本件発明の実施品となった『プラズマ製膜装置NL型』」と改める。
(4) 同4頁15行目の「有機単量体」の次に「(重合反応により重合体を合成する場合の出発物質)」を、16行目の「重合膜」の前に「非結晶構造を持つ高」を加え、18、19行目の「非結晶、多結晶」を「非結晶又は結晶構造の」と、19行目の「生成機構」を「生成機序」と改める。
(5) 同5頁1行目の次に改行の上、次の文章を加える。
「結晶膜を作成する理論・方法における最大の難問は、いかにしてイオン化した金属原子のみを基盤面に均一に堆積・結合させるかであり、これを解決するためには、重合膜の作成とは異なる理論的考察が不可欠なのである。」
(6) 同5頁5行目の「貸与を受けて」の次に「、グロー放電を利用した金属結晶膜作成の方法に関する」を、5、6行目の「実験に成功し」の次に「、金属結晶膜作成のための放電条件を解明し」を加える。
3 控訴人の当審補足主張
(1) 本件発明と旧発明の関係について
本件発明は、旧発明と別異のものではなく、旧発明の応用、改良である。すなわち、原判決が指摘するように、本件発明と旧発明における薄膜の生成原理が、その材料(金属原子を含む有機ガスかそれを含まない有機ガスか)の相違に応じて異なり、作製される薄膜も高重合膜と金属薄膜という性質において相違するとしても、これらを生成する基本的な装置機構が同一であれば、薄膜の基本的な生成原理は同じといえるのであって、旧発明と本件発明の薄膜生成の原理の相違は、グロー放電条件の選択の違いにすぎない(甲32参照)。
(2) 本件発明の完成に至る経緯について
ア 被控訴人が平成4年9月に控訴人に交付した図面は、物質研に納入したプラズマ製膜装置NL型の設計図ではなく、旧発明に係る「簡易プラズマ製膜装置」の図面である(甲30)。物質研に納入したプラズマ製膜装置NL型は、平成5年に入って、【D】教授から注文の内示を受けた後に開発されたものであり、その組図が甲31である。
イ 被控訴人は、平成4年5月6日に薄膜化の条件及びオスミウムの安全策を着想したと述べ、その時着想した安全策とは、オスミウムの結晶を直接昇華室に入れるものからアンプルを挿入して割るタイプへの変更であったと主張しているが、物質研に納入したNL型及びその後のオスミウムプラズマコーター第1号機においては、右のような変更はなされておらず、そのような変更(改良)が採用されたのは、平成7年5月以降のことである(甲31、35、36)。
(3) 本件技術顧問契約6条について
同条にいう「本契約を履行する過程での発明」とは、特許法的な意味で完成した発明を意味するのであって、本件発明がいつ完成したのかは重要な意味を持つ。
第3 争点に対する当裁判所の判断
1 基本的な事実経過
以下のとおり付加訂正するほか、原判決別紙第4の1(5頁9行目から12頁末行まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決別紙5頁10行目の「乙13ないし15」の次に「24、25、」を加える。
(2) 同6頁2行目の「実施品(」の次に「プラズマ重合膜ナノレプリカ作成装置。」を加える。
(3) 同7頁12行目の「原告製品の開発」の次に「(旧発明関連)」を、14行目の「透過」の次に「型」を、17行目の「原図」の次に「(甲29)」を、同8頁15行目の「走査」の次に「型」を、17行目の「設計図」の次に「(甲30はその1枚である。)」を加える。
(4) 同9頁4行目の「装置に」を「しかも、中型機に」と改め、12行目の「走査」の次に「型」を、15行目の「演題で」の次に「本件発明についての」を加え、16行目の「甲17、」及び18、19行目の「平成5年度総会・」を削る。
(5) 同11頁15、16行目の「平成6年10月ころから同装置の製造、販売を行った。」を「平成5年6月ころ被控訴人が試作第1号機の設計原図を作成して控訴人に渡し、平成6年1月には試作機が完成し、同年10月ころから同装置の製造、販売を行った(甲11)。」と改め、同頁19行目「そして、その過程で」から12頁1行目「とっていくことであった。」までを削る。
(6) 同12頁末行の次に、改行の上、「しかし、控訴人と被控訴人の本件技術顧問契約は、平成10年5月22日に終了した(甲13)。」を加える。
2 争点について
(1) 旧発明と本件発明との関係について
控訴人は、本件発明は旧発明を応用したもので、その延長線上にある関連技術であると主張する。
ア 旧発明である電子顕微鏡の検体用レプリカ薄膜の作成装置(及びその実施品であるプラズマ製膜装置)は、直流グロー放電によってハイドロカーボンガス(メタン、エチレン、ナフタリン)を陽イオン化した後に、負グロー相内に置かれた試料又は基板表面にこのイオン化したガス分子が分子レベルで均一に堆積して高重合膜を作り、表面の微細構造を高分子重合膜により精密に形取りするという原理を利用するものである。すなわち、有機単量体を重合反応させることにより被膜を形成、付着させるもので、重合反応の介在が絶対的前提となる(甲5、24の1)。
イ これに対し、本件発明は、直流グロー放電によって金属化合物を陽イオン化し、負グロー相内に置かれた試料又は基板表面に瞬時に付着堆積して、非結晶又は結晶の金属薄膜を作製するというものであって、金属化合物から金属を分解・抽出し、金属被膜を堆積させるものである(甲3、甲24の3)。
ウ このように、両者は、プラズマによるグロー放電装置を使用して電子顕微鏡の検体用金属薄膜を作製する装置ないし方法という点で共通性を有するものの、右の薄膜作製の材料において、有機単量体と金属化合物という相違があることによって、薄膜の生成原理が全く異なり、作製された薄膜も高重合膜と金属薄膜という全く異質のものとなるのであるから、旧発明の実施品の製品化の過程で、このような本質的相違を有する本件発明が生み出されてくることが、自然な成り行きとはいえない。
エ このことは、旧発明が公告された昭和62年11月18日以降、本件発明が公開されるまでの間、抽象的な着想こそ見受けられるものの(後記(2)イa①、②参照)、被控訴人以外の研究者において、旧発明の原理方法から本件発明の原理を推考する本格的研究が行われた形跡が本件証拠上窺えないことからも裏付けられる。また、名古屋大学大学院助教授【E】の陳述書(甲32)において、「選択したガスの組合せから金属に富み比較的平坦な表面構造を有する薄膜が合成されたことには新規性が見られ、特許に値する。」と指摘されている点も、本件発明に関連する具体的研究が従前存しなかったことを示すものと解される。
オ もっとも、控訴人は、本件発明と旧発明に関して、前記第2の3(1)のように主張するところ、上記【E】助教授の陳述書(甲32)には、「同一装置であれば、ガスを変えただけであり、基本操作としてなんの特異性もない」と、控訴人の主張に沿う記載がある。
しかし、仮に旧発明の延長線上にあるものを想定するならば、オスミウム「金属を含有したハイドロカーボン重合膜」(甲32)が該当するはずであるところ、これは「有機物の多量混合した導電不良の脆い金属様の堆積膜」(乙15)にすぎない。本件発明に係る金属薄膜がたとえ旧発明と同一装置で生成可能であるとしても、これを実現するためには、放電圧、放電時間等十数項目にわたるグロー放電条件を独自に再設定しているのであり(被控訴人の供述)、そのような条件の下で、重合反応とは無関係の生成原理によって金属薄膜を生成堆積させているのであるから、本件発明と旧発明とは全く異なったものというべきである。
カ 以上によれば、本件発明が旧発明を応用したもので、その延長線上にある関連技術であるとの控訴人の主張は採用できない。
(2) 本件発明がなされるに至った経緯について
ア 控訴人は、本件発明は、本件技術顧問契約の締結後において、旧発明及び本件発明の実施品となったプラズマ製膜装置NL型を開発する過程で生まれたものであると主張し、控訴人代表者は、要旨次のとおり右の主張に沿った供述をする(甲20、28〔陳述書〕、控訴人代表者の供述)。
「被控訴人は、平成4年5月22日に本件技術顧問契約を締結する際にも、本件発明のことについて控訴人に何も言わなかった。それどころか、控訴人代表者は、プラズマ製膜装置のパンフレット(甲24の1、平成4年8月付け)を示して被控訴人に対し、SEM(走査型電子顕微鏡)用の試料の導電性薄膜が実現できないかと提案したところ、被控訴人は、それはやっていないから分からないけれども是非考えておきましょう、早い機会にそういう実験もしたいと返事をしたにすぎなかった。そして、その後、プラズマ製膜装置NL型を製品化する過程で、被控訴人の方から、SEM用の試料の導電性薄膜を作製する具体的な方法についての話が出るようになった。したがって、平成4年4月の時点で被控訴人がいうような実験がなされていたとは考えられない。
また、平成4年4月に本件発明が完成していたのであれば、特許出願が1年以上も経過した平成5年5月となっているのは不合理である。」
イ しかしながら、前記引用に係る原判決別紙第2の1の事実(以下「基礎となる事実」という。)、第4の1の事実(以下「基本的な事実経過」という。)に証拠(乙13ないし15、24、25及び後掲の各証拠)を総合すると、以下の事実が認められる。
a 被控訴人は、① 平成元年にウシオ電機が旧発明の実施品を製品化したころ、その購入者である日本電気基礎研究所の【F】所長から、有機金属化合物ガスを使って金属薄膜ができるかと質問を受け、また、② 平成3年6月に松下電子工業株式会社京都研究所にウシオ電機製品を納品した時に、同研究所の【G】研究員から、特定の試薬について有機金属化合物を使用して金属薄膜を作製するための放電条件について質問を受けたことから、有機金属ガスからの金属薄膜作製法開発の着想を得た。このうち②について、被控訴人がヘキサメチルジシロキサンを材料として、ウシオ電機製品を使って簡単な実験をしたところ、汚い膜ではあるが一応理論的にはできると思われたので、その旨畑研究員に回答し(乙11)、さらに研究を進めようとしたが、ウシオ電機が採算性の点からウシオ電機製品(旧発明実施品)の製造中止を検討していたこともあり、研究は思うように進まなかった。
そのうち、基本的な事実経過(1)(原判決別紙6頁)記載のとおり、ウシオ電機は平成4年3月末に上記製品の製造、販売を中止し、それに伴い被控訴人も同社の技術顧問を辞した。
b もっとも、基本的な事実経過(2)(原判決別紙6頁)のとおり、被控訴人は、昭和61年から東京慈恵会医科大学(以下「慈恵医大」という。)に非常勤講師として勤務していたので、ウシオ電機技術顧問を辞した平成4年4月以後も、同大学医科学研究所において研究を続けることにした。しかし、従来から同大学にあったプラズマ重合膜レプリカ作成装置は、初期の試作品で性能が悪く、十分な実験ができなかったので、被控訴人は、研究継続のために、ウシオ電機から慈恵医大に、期間1年の約束で、ウシオ電機製品の貸出しを受けた。ウシオ電機製品は平成4年4月6日に慈恵医大に届いたが、真空状態のセットや試運転等に一週間を要し、正式に慈恵医大からウシオ電機宛の借用書(乙1の2)が出されたのは同月15日であった。
c 被控訴人は、同月13日から16日にかけて実験を行い、試行錯誤を繰り返して、オスミウム金属の薄膜を得ることができた。この過程で困難だったのは、四酸化オスミウム結晶の真空昇華量増加に伴う過放電の抑制であり、オスミウム結晶を凍結冷却して昇華を抑える必要があった。そうして、何度か失敗を繰り返した後、ようやく同月16日に均一なオスミウム薄膜ができたので、かねて被控訴人の研究に理解を示していた同大学の【H】助教授に見せたところ、【H】助教授は被控訴人の成功を喜んでくれた(乙20の1ないし4)。
d 被控訴人は、同月17日、薄膜を分離できるようにしてTEM(透過型電子顕微鏡)で検鏡したところ、良好な結果が得られた。さらに、同月20日から23日にかけて、SEM用の試料を作製し、慈恵医大の電子顕微鏡専任担当者であった【I】にSEMの操作を依頼して検鏡したところ、その結果も良好であった。
e また、被控訴人は、四酸化オスミウム以外の有機化合物、すなわちヘキサメチルジシロキサン、テトラメチルシランについても同様の実験を重ねていった(乙20の5。ちなみにこれらの化合物から抽出される元素は珪素であるが、一般に珪素は金属の範疇には含まれないと考えられている。したがって、これらを金属化合物と称するのは正確でないと思われる。)。
f この時点で更に検討する必要があった事項は、①膜厚を薄くするための諸条件の調整、②薄膜の酸化の有無を検証するための時間を置いた元素分析、③オスミウムを使用する際の安全対策(毒性のある四酸化オスミウムの結晶粒の封入方法)であった。これらのうち、①、③については同年5月6日に得た着想によってほぼ解決し、②については同年9月に東京工業大学の【J】教授に元素測定(ESCA)をしてもらって良好な結果を得た。また、同じころに①について筑波物質研究所の【K】教授に膜厚を測定してもらって、膜厚の調整について誤差数パーセントまで追い込むことが可能となった。
g 被控訴人は、同年4月の時点で本件発明を一応完成させたと考えていたが、学会発表をするなら、追試も行い、細部も詰めた上で充実した内容のものとしたいと考えたため、すぐには発表はせず、更に慈恵医大で研究を重ねることとした。もっとも、同年6月18日から8月3日まではウシオ電機製品を控訴人に貸し出したので、研究をすることはできなかった。
h そして、発表用の研究資料を整えた被控訴人は、基本的な事実経過(4)、(5)記載のとおり、平成5年3月末頃、本件発明についての講演を行い、同年5月24日に本件発明について特許出願をした。
以上で認定した本件発明の開発経過からすれば、被控訴人は、本件技術顧問契約を締結する前に、本件発明の基本的な部分の開発を終えていたものと認められ、その後に残された課題を解決する過程においても、特段控訴人の技術者と協議・連繋したことは窺われず、慈恵医大の研究室での研究をベースに、被控訴人の個人的な知己を頼って元素測定等の試験を行う等して本件発明を完成させたものであって、本件発明は、控訴人の技術顧問としての立場を離れて、一研究者としての立場でなされたものであるとみるのが相当であり、したがって、控訴人が主張するように、本件技術顧問契約を履行する過程でなされた発明であるということは困難である。
ウ そしてまた、基本的な事実経過で認定したところによれば、次の諸点を指摘することができる。
a もともと本件技術顧問契約は、旧発明の実施品を製品化するに当たって、被控訴人が控訴人に技術指導をすることを主眼として締結されたものであるところ、前記(1)で検討した本件発明と旧発明との関係をも併せ考えると、本件発明が旧発明の実施品の製品化の過程で生み出されていくことが自然の成り行きとはいえない。
b 本件発明に係る金属薄膜の堆積法の原理を開発したのは被控訴人であり、控訴人側はそれを使った製品化の過程に携わったにすぎない。すなわち、最初にプラズマ製膜装置NL型に本件発明の機能が付加されるに至ったのも、被控訴人が発注者である【D】教授と仕様を打ち合わせる中で決定したものであり、その設計図も被控訴人が作成したものである(その後のオスミウム・プラズマコーターの開発もすべて被控訴人の発案に係るものである。)。
c 被控訴人が、本件発明の過程について、きっかけ、実験経過、各時点での完成度と残された課題、課題が克服された過程、協力者の存在等、極めて具体的に述べているのに対し、控訴人代表者は、本件発明自体の開発過程について何ら具体的に述べるところがない(当審で提出された控訴人技術部【L】課長の陳述書(甲33の1)も、旧発明及び本件発明の製品化段階における経緯の陳述に終始したものにすぎない。)。これらからすれば、本件発明の技術思想は、控訴人における製品開発に被控訴人が技術顧問として関与する過程で開発されていったものというよりは、製品開発の際に、被控訴人から控訴人に対し、完成された形で持ち込まれたものと考えるのが相当である。
d さらに、開発時期の点を検討すると、基本的な事実経過(3)で認定したとおり、被控訴人がプラズマ製膜装置NL型の設計図を控訴人に交付したのは平成4年9月ころである(発注者である【D】教授との仕様の打ち合わせ及びそれに基づく設計はそれ以前であると考えられる。)が、この時点ではまだ控訴人のプラズマ製膜装置は製品化されておらず、また、被控訴人がウシオ電機から貸出しを受けた装置は同年6月18日から同年8月3日までの間、プラズマ製膜装置を製作する参考に控訴人に貸し出されていたのであるから、被控訴人は、この貸出し時(同年6月18日)までには本件発明をほぼ完成させていたと考えられる。これに、被控訴人が同年4月15日付けでわざわざウシオ電機から慈恵医大に旧発明の実施品の貸出しを受けていることを併せ考えれば、同年4月15日から同年6月18日の間に被控訴人による本件発明の開発がなされたものと推認するのが合理的である。
エ 以上に対する控訴人の主張について検討する。
a 本件技術顧問契約を締結する時点で、本件発明に関する話が何ら被控訴人から出されなかったことは控訴人指摘のとおりであるが(基本的な事実経過(2))、平成4年5月の時点では、本件発明について更に検討を要する課題もいくつか残されていたこと、控訴人と本件技術顧問契約を締結したとはいっても、被控訴人が控訴人代表者と面識を得てから未だ日が浅く、信頼関係もさほど築かれていなかったこと、本件技術顧問契約の対象はあくまで旧発明の実施品の開発に関する指導であり、本件発明の内容について被控訴人の側からあえて言及する必要もないことからすれば、本件発明に関し学会に発表していない段階で控訴人に口外することを控えた旨の被控訴人の供述は、それなりに首肯できるものである。
b 控訴人代表者は、前記アのとおり、控訴人代表者が被控訴人に対して、SEM用の試料の導電性薄膜が実現できないかと持ちかけたところ、被控訴人は、それはまだやっていないけれども是非考えておきましょう、早い機会にそういう実験もしたいと返事をしたにすぎなかったと供述(陳述)する。
しかし、控訴人代表者がこのような提案を被控訴人にしたか否かについては争いがあり、控訴人代表者の供述又は陳述書以外に裏付けとなる証拠はない(前記控訴人の【L】課長の陳述書(甲33の1)でも極めて抽象的に指摘されているにすぎない。)。また、控訴人代表者がこの発言をしたとされる時期も必ずしも明確でないものの、甲28によると、平成4年5月22日に被控訴人と本件技術顧問契約を結んだ後、旧発明の実施品の製作と営業を行う中において発言されたとする趣旨と解されるところ、前記ウdの本件発明に関する開発時期の点、すなわち被控訴人が本件発明を平成4年6月18日には一応完成させていたと推認されることからして、被控訴人が控訴人代表者のこの発言に触発されて初めて本件発明の開発に取りかかったとは到底考えられない。
したがって、控訴人代表者の前記供述(陳述)は採用することができない。
c 控訴人代表者は、被控訴人が平成4年4月の時点で本件発明を完成させていたならば、それから1年以上も後に特許出願がなされたのは不合理であると述べる。
しかし、被控訴人は、学会発表のために遅くとも平成5年1月初旬には講演予稿を提出しているところ(基本的な事実経過(4))、オスミウム薄膜の酸化の有無の検証と薄膜の厚さの測定ができたのは平成4年9月ころだというのであるから、講演に必要な顕微鏡撮影映像の準備なども含めれば、学会発表までの間にある程度の時間を要したことも首肯できるところである。また、講演予稿に基づいて学会発表をした場合には、新規性喪失の例外が認められるから(特許法30条1項)、学者である被控訴人が学会発表を優先したことは当然とも考えられる。したがって、控訴人代表者が指摘する本件発明の完成と特許出願との時間的離隔の点も不合理とはいえない。
d 控訴人代表者は、本件発明が控訴人の製品開発が進められる中で登場し、控訴人製品に組み込まれていったものである根拠として、オスミウム・プラズマコーターについての売上協力費が被控訴人に支払われている点(基本的な事実経過(7))を指摘する。
しかし、前記のとおり、本件発明の技術思想は、被控訴人によって開発され、控訴人製品に導入されていったとみられるのであり、各製品の開発に当たって被控訴人が技術顧問として関与したとはいえても、本件発明自体の開発が技術顧問としての立場でなされたとみることはできない。また、被控訴人がオスミウム・プラズマコーターについても売上協力費を受け取っていることは、本件技術顧問契約が当初に念頭に置いていたことと同じく、製品開発に当たっての技術指導に対する対価として考えることができ、しかも、控訴人は、オスミウム・プラズマコーターについては控訴人特許を取得しているのであり、被控訴人も、製品化したのは控訴人であるからとして、控訴人が控訴人特許権を有することについては肯認しているのであるから、被控訴人がオスミウム・プラズマコーターについての売上協力費を控訴人から受け取っていることは、本件発明が被控訴人独自のものとする見解と矛盾するものではない。
e 控訴人は、本件技術顧問契約締結の時点では、本件発明は完成していなかったと主張する。
確かに、先にイで認定した被控訴人による本件発明の開発経過からすれば、厳密にはその時点で本件発明が完成していたとはいえない。
しかし、本件において問題なのは、本件発明が、本件技術顧問契約6条にいう「本契約を履行する過程で」生まれたものか否かという点であるから、特許法的な意味で発明が完成したのはどの時点かということは必ずしも重要ではない(この点に反する控訴人の当審主張は採用できない。)。また、特許法的な意味で発明が完成したのが本件技術顧問契約の締結後であるとしても、それだけで直ちに本件発明の開発が本件技術顧問契約を履行する過程でなされたものといえないことはもちろんであり、本件発明が、控訴人の技術顧問としての立場を離れた一研究者として被控訴人が完成させたものであることは、先に検討したとおりである。
なお、控訴人代表者は、本件発明の特許出願後も、被控訴人がオスミウム・プラズマコーターの第1号機を知人の研究者において試用してもらうことを希望していたことを指摘するが(甲28)、それは商品としての完成度の問題であって、本件発明の完成とは別次元の問題である。
f なお、控訴人は、当審において、被控訴人が平成4年9月に控訴人に交付した図面(甲30)は、物質研に納入したプラズマ製膜装置NL型の設計図ではなく、旧発明に係る「簡易プラズマ製膜装置」の図面であり、物質研に納入したプラズマ製膜装置NL型は、平成5年に入ってから開発されたものである(その組図が甲31である。)などと主張する(第2の3(2))けれども、乙25(被控訴人の陳述書)によれば、甲30の図面は物質研に納入したプラズ製膜装置NL型の原案図の1枚であることが認められるから、控訴人の上記主張は採用できない。
また、控訴人は、被控訴人が平成4年5月6日に着想したという安全策(オスミウムの結晶を直接昇華室に入れるものからアンプルを挿入して割るタイプへの変更)が実際に採用されたのは、平成7年5月以降のことであると主張するが、仮に控訴人が主張するとおりであったとしても、実施品への採用時期によって発明の完成時期が左右されるものではないから、前記の結論に影響を及ぼすものとはいえない。
g 以上よりすれば、控訴人又は控訴人代表者が指摘する諸点は、いずれも、本件発明について本件技術顧問契約6条が適用される根拠となり得るものではない。
(3) 以上の検討結果によれば、本件発明が本件技術顧問契約6条の適用を受けるとの控訴人の主張は理由がない。